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箆柄暦『五月の沖縄』2011 砂川恵理歌

2011.05.01
  • インタビュー
箆柄暦『五月の沖縄』2011 砂川恵理歌

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箆柄暦『五月の沖縄』2011
2011年4月30日発行/097号

《Piratsuka Special》
砂川恵理歌
『一粒の種のアルバム』

 

 

Piratsuka Special
砂川恵理歌
誰かの思いを届けるために歌いたい。

「一粒の種でいいから生きていたい」。一人の末期がん患者が、亡くなる直前に遺した命の叫び。それを彼の担当だった宮古島出身の看護師が詩に綴り、彼女の同郷の友人であるシンガーソングライター・下地勇が曲を付け、同じ宮古島出身の後輩シンガー・砂川恵理歌に歌を託して、三年前に生まれたのが「一粒の種」という曲だ。「ちっちゃくていいからもう一度、一粒の種になる」「あなたのそばで生きててよかった」と、砂川のピュアな歌声が優しく温かく語りかけるこの歌は、旅立つ命を見送り、残された者に寄り添う“命のうた”として、全国的に大きな話題を呼んだ。

 二〇〇九年に発売した同名シングルはロングヒットを記録し、今春にはこの曲を核とした初アルバム『一粒の種のアルバム』も完成。「一粒の種」は砂川恵理歌の代表作となったが、彼女自身「この歌の存在が、私の歌手活動を豊かにしてくれた」と振り返る。

「『一粒の種』と出会ったのは、デビューして一年くらい経った頃。私は沖縄で介護の仕事をしていて、二九歳で運よくオーディションに受かり、小さい頃からの“歌手になる”という夢を叶えたんですが、いざ歌一本で行くぞ!と決めたとたんに、ハタと行き詰まってしまったんです。それまでは“歌手になること”自体が目標で、歌手になった後どうするべきか、自分でも先が見えてなかったんですね。迷ってもがいていたとき、同じ宮古出身の勇さんから“恵理歌に歌ってほしい”と『一粒の種』の音源が送られてきました。最初は歌の背景は知らなかったけれど、聞いたとたんに涙がとめどなくあふれてきて…。なんて優しくて、懐かしい感じのする歌なんだろう、これは絶対に自分が歌いたい!と思いました」

 そうして芽吹いた「一粒の種」の歌は、徐々に枝葉を広げ始める。まずは歌を聞いた人々から彼女のもとへ、自分と大切な人の人生や、永遠の別れについて語るメッセージが続々届き始めたのだ。彼女はその重みを実感し、彼らの思いをもっと深く受け止めたいと考えた。そして、介護職時代に自分の歌がお年寄りに喜ばれ、それが仕事のやりがいにもなっていたことを思い出し、「多くの人の声を直接聞き、歌手として成長したい」と、全国の病院や学校、介護施設などでミニライブを行う「Smile Seed Project」を始めた。開始後二年間で、訪れた場所は三百か所以上、歌を届けた人の数は五万人を超える。今も続くその活動を通じ、彼女は「歌手の役割は、人と人とを結ぶことだと知った」という。

「この歌に共感した誰かが、この歌を別の誰かに聞いてほしいと願ったとき、私はその思いをつなぐ架け橋になる。それがわかった今は、自分のためだけには歌えません。歌うことは誰かの思いを別の誰かに届けることだと、出会った方々に教えてもらいましたから」

 宮古島の先輩達から託された「一粒の種」を大きく花開かせ、迷いのない笑顔で「今、歌うことに夢中でいられる私は幸せです」と笑う砂川恵理歌。その明るく力強い歌声は、今後もこの歌を必要とする人々の元に届けられ、人生の支えとなっていくことだろう。
 (取材・高橋久未子/撮影・喜瀬守昭)

 

砂川恵理歌(すなかわ・えりか) 1977年宮古島生まれ。介護職を経て2006年、29歳のときシングル「Heart Drops」で歌手デビュー。2009年に発表した3rdシングル「一粒の種」で注目を集め、全国的に多数の支持を得る。この春には、彼女が宮古島の人々と「一粒の種」を合唱する模様を追ったドキュメンタリー映画『一粒の種〜真太陽(マティダ)の島の大合唱〜』も制作された。

◆砂川恵理歌『一粒の種のアルバム』
よしもとアール・アンド・シー YRCN-95153
2,800円 2011/4/20発売
一粒の種〜合唱〜/ひかり/Heart Drops/笑/ふるさと/海月(くらげ)/童神/なりやまあやぐ/春夏秋冬/凛として/一粒の種/一粒の種〜真太陽(マティダ)の島の大合唱〜