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箆柄暦『一月の沖縄』2008 登川誠仁

2008.01.01
  • インタビュー
箆柄暦『一月の沖縄』2008 登川誠仁

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箆柄暦『一月の沖縄』2008
2007年12月31日発行/057号

 

《Piratsuka Special》
登川誠仁
残したいと思う沖縄民謡を次の世代に伝えたい。

二〇〇七年八月、登川誠仁は、愛弟子の仲村奈月や仲宗根創らと、コザのレコーディングスタジオにいた。アルバムの録音現場。「言葉をつなぎやすいように歌いなさい」、「三線を強く弾いてね」……、登川はポイントポイントで二人に的確な指示を出した。テイクを重ねても集中力が途切れることなく、音楽はさらに研ぎすまされていった。

現在の沖縄民謡の世界のリーダーともいえる登川誠仁。そのオリジナルアルバム『酔虎自在』がリリースされる。知名定男との共作はあったが、ソロのオリジナルとしては実に六年ぶりとなる。

ここ数年は体調が十分ではなく、入退院を繰り返した時期もあったという。そのせいか「今回のレコーディングは順調ではなかった」と話す。その一方で「順調でないとはいっても、それなりにはできるから」と笑う。大好きな酒を断ち、煙草の数も大幅に減らしたという歌声から、体調の不安は感じられない。
「残したいと思う沖縄民謡を、次の世代に伝えたい」というのが、今回のアルバム制作の動機。スタジオに若いメンバーを招いたのもそうしたことが背景にある。「昔、芝居の地謡の見習いの頃は、失敗すると拍子木が飛んでくるくらい厳しくされたものだけどどね」と話すが、登川自身は若い世代には優しくみえる。

「冗談の歌をやる人間は、情歌も上手なんです。役者でも一番難しいのは喜劇、それは音楽でも一緒」というのが持論。「技は習うもんじゃなく全部盗むものだ。テレビ見ていて面白いのがあったら、全部書いておくよ。消してはいけなかったビデオテープもすぐに上から録画してしまうから、かかあにいつも怒られてる(笑)」。今回もそうして培ったユーモアのセンスは健在だ。
「八五歳までにあと何枚かアルバムを出したいと思っている」。その言葉の通り、アルバム全体から何よりも感じられるのは「歌い続けていく」という強い意志である。

現在七五歳。後に続く数多くの唄者のためにも、沖縄の音楽のためにも、まだまだ現役でいてもらわなければならないのだ。
(取材・文/野田隆司、撮影/福田真己)

登川誠仁(のぼりかわ・せいじん) 1932年、兵庫県尼崎市生まれ。16歳で劇団「松劇団」に地方見習いとして入団。その後さまざまな一流劇団で地方を務め、琉球古典、民謡、舞踊など沖縄芸能の基本を学ぶ。60年代の民謡ブーム以降、沖縄民謡界で押しも押されぬ存在となり、99年には映画『ナビィの恋』に出演、全国規模で幅広い人気を獲得した。琉球民謡協会名誉会長、登川流宗家。

◆登川誠仁『酔虎自在』
リスペクトレコードRES-135
2008/1/16発売 3,000円
屋慶名クフヮディーサ〜スヌ万才/新夢の沖縄島/挽物口説〜唐船ドーイ/孝行口説/鳩間節〜仲作田節/八重山育ち/金細工/道輪口説/まーみな節/恋の花節(有明ぬ今宵)/固み節/揚作田〜伊集早作田/ヤリクヌシー/ゆしぐとぅ

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